沿革
- 永川案内
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先史時代
琴湖江の源流地帯であるここに人間が暮していた遺跡がある
三韓時代
「骨伐小國」という部族国家を形成
新羅時代
西暦236年、阿音夫王が新羅の助賁尼師今に降伏し、永川地方は「切也火郡」、新寧地方は「史丁火縣」になった。 景徳王16年(757年)臨皐郡に改称され、さらに景哀王2年(925年)には高鬱府に改称された後、管下に道同県と臨川県、ミョンベク県、梨旨県と称された。
高麗時代
高麗の初期には道同と臨川を合わせて永州郡と称し、成宗14年(995年)には水官として刺史を置き、その後1383年に知州事を置いて、恭愍王の時には新寧県が復県。
朝鮮時代
太宗13年(1413年)に永州郡を永川郡に改称して知郡事を置き、世祖 12年(1467年)に郡守を置いた他、燕山君3年に新寧が廃県されて永川に帰属された後、燕山君9年に再び復県した。 - 1522年、軍官の謀反で県に格下げされ、1533年に郡に郡に復帰
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1894. 8 | 8道制の当時、慶尚道永川郡と呼ばれる |
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1896.8.4 | 勅令第36号(1896.8.4公布)により13道制が実施され、慶尚北道永川郡になる |
1914.3.1 | 府令第111号(1913.12.29公布)により府、郡、面が廃合されて新寧郡へ統合。新村面、地谷面、化東面の一部が統合して化北面に、高村面、チョンギョン面が統合して古鏡面に改称 |
1937.7.1 | 府令第111号(1913.12.29公布)により府、郡、面が廃合されて新寧郡へ統合。新村面、地谷面、化東面の一部が統合して化北面に、高村面、チョンギョン面が統合して古鏡面に改称 |
1971.6.1 | 永川面を邑に格上げ(1邑10面) |
1973.7.1 | 大統領令第6543号(1973.3.12公布)により琴湖面が邑に格上げ(2邑9面) |
1979.5.1 | 郡条例第567号(1979.4.30公布)により永川邑の3出張所(東、南、北部)を設置 |
1981.7.1 | 法律第3425号(1981.4.13公布)により永川邑が市に格上げ(9洞) |
1983.2.15 |
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1984.8.30 | 市条例第281号(1984.8.30公布)により市役所の所在地を完山洞 1056-3番地から門外洞24番地に移転 |
1986.4.1 | 大統領令第11874号(1986.3.27公布)により化北面の三昌出張所がファサン面キホ洞を編入し、ファナム面に格上げ(1邑10面) |
1987.1.1 |
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1988.1.1 | 郡条例第1042号(1988.1.1公布)により琴湖邑トクソン洞がトクソン1洞、トクソン2洞に、紫陽面忠孝2洞を忠孝2洞と忠孝3洞に行政洞を分離 |
1988.5.3 | 郡条例第1046号(1988.5.3公布)により洞が里に改称 |
1988.5.30 | 市条例第437号(1988.5.30公布)により市役所の所在地が門外洞27番に変更 |
1989.1.1 |
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1995.1.1 | 法律第4774号(1994.8.4公布)により京畿道南楊州市など33の都市・農村複合型の市設置などに関する法律に基づき、永川市と永川郡を統合、永川市を設置(1邑10面9洞) |
1998.10.20 | 永川市条例第211号(1998.10.2公布)によりキョ洞と大田洞の大田及びソサンを統合してソブ洞にし、ミョンサン洞と大田洞のオミを中央洞に編入してチュナム洞、鳳鵲洞、ヨン洞を統合し、ナンブ洞に調整(1邑10面5洞) |